2017.01.02
2病棟 看護師 │ 田中 知香
私は、福岡の看護学校を卒業後、付属の病院へ入職し、3年間看護職を経験した後に結婚退職し上京しました。そして近くの病院に勤務しましたが、約一年で長男の出産を機に退職しました。その時は看護職を離れることに迷いはありませんでした。両親は私が幼少のころからずっと忙しくしていたので、“お母さんがいつも家に居てくれる”という環境に憧れがあったからです。ですので、3人の子供たちが大きくなり下の子が幼稚園へ上がるまで主婦として子供たちのそばに居られたことは嬉しく思います。
しかし、もうこの時には看護職から離れて9年近くも経っていました。焦りがない訳がありません。看護師以外の職種で働くことも考えました。でも、学生のころ両親がずっと応援してくれていたこと、子供たちから「ママはお仕事したことあるの?」と聞かれた時、自信を持って「看護師」と言えなかったことがとても残念に感じてしまいました。
このことが、もう一度働くのであれば、やはりまた1からのつもりで勉強して、看護師として働きたいと思いました。
下の子が幼稚園に入ったタイミングで働こうと決めましたが、小学校と幼稚園の行事やお手伝い、夏休み、などなど・・・気になることは沢山です。そしてブランクも長い・・・。なかなか踏み出せませんでした。そんな時に目にしたスズキ病院での復職者支援研修。これはぜひ参加したいと思い、すぐ申し込みをしました。研修では現役の看護師の方々に講義・実習を受けさせて頂けました。質問などもその場ですぐ聞くことができ、自信のない看護技術も何度も練習させて頂けました。その研修を通して、スタッフの方々や病院の雰囲気、そして子育てしながらも働きやすい職場作りに積極的に取り組まれている環境に惹かれ、こちらでの入職を希望しました。
今、復職して1年が経ちました。復職したことで、1日のリズムにもメリハリが出来、今はまだ日数・時間ともに減らして頂けているので、子供たちにも寂しい思いをさせることなく働くことが出来ています。とても有難く思っています。今後は、子供たちの成長に合わせて、少しずつ増やして行きたいと思っています。
2病棟 看護師 │ 田中 知香
私は、福岡の看護学校を卒業後、付属の病院へ入職し、3年間看護職を経験した後に結婚退職し上京しました。そして近くの病院に勤務しましたが、約一年で長男の出産を機に退職しました。その時は看護職を離れることに迷いはありませんでした。両親は私が幼少のころからずっと忙しくしていたので、“お母さんがいつも家に居てくれる”という環境に憧れがあったからです。ですので、3人の子供たちが大きくなり下の子が幼稚園へ上がるまで主婦として子供たちのそばに居られたことは嬉しく思います。
しかし、もうこの時には看護職から離れて9年近くも経っていました。焦りがない訳がありません。看護師以外の職種で働くことも考えました。でも、学生のころ両親がずっと応援してくれていたこと、子供たちから「ママはお仕事したことあるの?」と聞かれた時、自信を持って「看護師」と言えなかったことがとても残念に感じてしまいました。
このことが、もう一度働くのであれば、やはりまた1からのつもりで勉強して、看護師として働きたいと思いました。
下の子が幼稚園に入ったタイミングで働こうと決めましたが、小学校と幼稚園の行事やお手伝い、夏休み、などなど・・・気になることは沢山です。そしてブランクも長い・・・。なかなか踏み出せませんでした。そんな時に目にしたスズキ病院での復職者支援研修。これはぜひ参加したいと思い、すぐ申し込みをしました。研修では現役の看護師の方々に講義・実習を受けさせて頂けました。質問などもその場ですぐ聞くことができ、自信のない看護技術も何度も練習させて頂けました。その研修を通して、スタッフの方々や病院の雰囲気、そして子育てしながらも働きやすい職場作りに積極的に取り組まれている環境に惹かれ、こちらでの入職を希望しました。
今、復職して1年が経ちました。復職したことで、1日のリズムにもメリハリが出来、今はまだ日数・時間ともに減らして頂けているので、子供たちにも寂しい思いをさせることなく働くことが出来ています。とても有難く思っています。今後は、子供たちの成長に合わせて、少しずつ増やして行きたいと思っています。
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