看護師になって
私は、スズキ病院に勤めて4年目になります。准看護師になり新卒でこちらに就職しました。私が医療関係の仕事に就く以前は、アパレル関係の仕事をしていました。アパレル関係の仕事は、毎日がキラキラしていて凄く刺激のある仕事でした。
そんな、私が看護師を目指そうと思ったきっかけをお話します。私は、田舎で育ちました。祖父、祖母と暮らしているのは当たり前、隣の家には曽祖父、という様に周りはお年寄りにあふれている中で育ち、いつか介護をする日が来るかもしれないと思い介護体験へ行きました。その体験先の担当者と看護部長に「看護師に向いている。」と言われたのがきっかけで病院で働くことにしました。働くうちに資格を持って働きたいと思うようになったのがきっかけです。
初めは分らない事だらけでしたが、先輩方が皆優しく丁寧に指導してくださったおかげで、今も看護師を続けていけているのだと思います。
これからも、自分らしさやワークライフを楽しみながら。思いやりある看護をしていきたいと思います。
2017.11.13 看護日記
練馬大鳥神社酉(とり)の市
11月になると、練馬の大鳥神社で酉の市がおこなわれます。
酉の市とは、毎年11月の酉の日に行われる各地の大鳥神社の祭礼です。酉の日とは、毎日の日付に十二支を割り当てていく日付法で、「酉」にあたる日をいいます。酉の日は12日おきに巡ってくるので、日の巡りにより11月の酉の日が2回になる年と、3回になる年があります。最初の酉の日を「一の酉」、次を「二の酉」、最後を「三の酉」と呼びます。
酉の市では、商売繁盛の必須アイテムである縁起物の熊手が売られています。
自営業の方や、会社経営者は、前年購入した熊手を返納し、新しいものを購入します。熊手も大から小まで様々です。一番シンプルなものは、大鳥神社の御札と稲穂をつけた「開運熊手御守」700円。屋台で売られている熊手は数千円~数十万円するものもあり、宝船や七福神、鯛、米俵、小判など、おめでたいものがてんこ盛りです。高額熊手を購入した方は、商売繁盛を祝ってお店の方や、参拝客から三々七拍子で祝福されます。
その他、お酒が好きな方向きの屋台からお子様向けの屋台まで、お腹も心も充分満たせます。奉納提灯や屋台も含め、酉の市は練馬区の「地域景観資源」にも登録されています。
今年は11月6日、11月18日、11月30日と、三の酉まであります。
会社経営をされている方、お祭り好きな方、屋台好きな方はぜひ、足を運ばれてはいかがでしょうか。
2017.10.04 看護日記
子供たちの笑顔が見たくて…
今回、私が9月に行く児童養護施設のボランティアについてお話しさせていただきます。
ボランティアの参加は2度目になります。
最初に養護施設について少しお話したいと思います。岩手県にある児童養護施設です。その施設には、保護者のいない児童、虐待されている児童、環境上養護を必要とする児童を入所させ養護し、あわせて、退所した児童に対する相談と自立を支援することを目的としている施設です。原則、乳児を除く18歳まで児童相談所を通してお預かりして家庭に変わって養育されています。
私が初めてボランティアに参加したのは、2年前。きっかけは知り合いから声をかけられたことでした。ボランティアの経験のない私は、最初すごく不安がありました。
ボランティアの内容は、バーべキューの準備です。男性陣は火おこしで焼く準備を、女性は食材の準備です。一応私も主婦ですから、炊事ならお手伝いできるだろうと簡単に考えていました。しかし、いざやってみると食材は子供の口に入る大きさにすることから衛生面などを施設のスタッフがそばで指示を出したり、食材の量の多さやフライパンや鍋の大きさが半端なく大きくて、思うように炒めたりカットしたり出来なくて戸惑うことばかりでした。 やっとの思いで準備が完了し、バーベキューの開始です。焼いたり食べたりは子供たちも参加して一緒に楽しみます。いろいろな年齢の子供がいますが、どの年代の子供も私たち大人を怖がらず、受けいれてくれ、最後は「ありがとうございました。」と、とても素敵な笑顔で喜んでくれました。その笑顔がみたくて今年は早めに日程の調整がとれたので、9月3日参加してきます。前回よりも子供たちのためになれるよう努力したいと思います。そして、次回またご報告が出来るようにしたいと思います。
2017.09.01 看護日記
感謝する心
私の二男の通う学校は仏教の精神に基づく教育方針を掲げています。「感恩奉仕(かんのんほうし)」といい、「感恩」とは、今日の自分が他の多くの恩を受けて行かされていることに対する感謝する心を表すことであり、「奉仕」とは、他の恩恵によって今日ある自分を他の事に役立てて行くことです。
この言葉は幼少時に入院した際、家族はもちろん看護師さんに優しくしてもらい、私も人の役に立ちたい、優しい人になりたい、そして看護師になりたいと思っていた頃を思い出させてくれました。待望の看護師となり、結婚して子育てをしながら、今こうして私が看護師として仕事を続けて行けるのも、家族や職場の方、他多くの色々な恩恵によるものと実感しています。
スズキ病院に就職して1年7か月になります。病棟勤務は久しぶりで、教えてもらうことばかりで、自分が職場で役に立てているのか心配になることの多い毎日ですが、少しずつ患者様や職場の人のためになれればと思っています。
これからの人生も自分が誰かに生かされていることに感謝し、それに報いるために自らを人や社会の為に役てる生き方をしたいです。
2017.08.18 看護日記
マイケルとの出逢い
初めてマイケルジャクソンを目にしたのは、中学生の頃にテレビで見たスリラーのPVでした。その夜は、あまりに衝撃的だったのか夢にスリラーのマイケルが現れ、追いかけられるという恐怖の夢をみました。それ以後、私はマイケルジャクソンを含め黒人さんが苦手になってしまいました。
それから約30年が経ち・・・
マイケルがプロポフォール中毒で死去されたことはニュースで知っていました。たまたまレンタルで借りていたDVD「This is it」(マイケルが亡くなる直前に行う予定であったコンサートのリハーサル映像を映画化したもの)をなんとなしに観たのがきっかけで、その瞬間から私はマイケルの虜になっていました。しかし、この時すでに亡くなってから3年も経過していました。興味を持ったのは死因のこともありました。私には偏った趣向があり、興味を持った事件や事故の真相を暴く書籍が大好きで、まるで自分がジャーナリストにでもなったような気分になり、とことん調べ挙げる癖があります。その結果、マイケルの人生や人格を知り惚れこんでしまったのです。世間ではスキャンダラスな記事で誤解を受けているマイケル。本当のマイケルは違うのに。マイケルは生涯で3億ドル(日本円で約281億円)を寄付しており、一個人のポップスター最多寄付額としてギネスに載っています。世界中の不幸な子供達の為「ヒール・ザ・ワールド基金」を設立し慈善事業を積極的に行っていました。コンサートで様々な国を訪れた際、その国々で小児科の病棟を訪問し子供の喜ぶおもちゃを贈る等、あまり善いことは知られていません。マイケルに興味を持った方は是非「マイケルジャクソンの教科書」や「マイケルジャクソン裁判~あなたは彼を裁けますか~」という書籍をお薦めします。きっとマイケルが好きになると思います。
数年前、とある入院患者さん(70歳代)のバッグにマイケルのキーホルダーがついていました。声をかけるとマイケルの大ファンで、マイケルを想い闘病生活に勇気と希望を貰ったと話されていました。マイケルは素晴らしい人だと、とても嬉しかったのを憶えています。実際、私もマイケルを好きになった頃は人生で1,2を争う辛い時期でした。40歳を過ぎて通信制の看護学校に入り、仕事と両立していた時期でストレスも多く・・・そんな時マイケルと出逢いその辛い時期を乗り越えました。マイケルだけではなく周囲の方々の励ましや応援ももちろんありましたが、秘かにマイケルに支えられていたのは確かです。
いつかマイケルに会いに行きたい。私はマイケルが生きていると信じています。その願いがついに叶う日がきました。今年の夏、ロサンゼルスに行きます!(人生初海外)
またロサンゼルス・マイケルの軌跡を追う旅について機会があればご報告したいと思います。
2017.07.04 看護日記
姉から受けた刺激
私は4つ上の姉と年子の妹がいる三姉妹の次女で、18歳まで北海道の田舎町で育ちました。看護学校進学のため上京、看護師として4年間病棟勤務を経験し結婚を機に退職、その後はクリニックや療養型病院で働きましたが、引越しや妊娠などで辞め、それぞれ1年程の勤務でした。それからは子育てを理由に長いブランク生活が始まりました。
4つ上の姉ですが、40歳も間近な頃、子供の中学進学を機に地元の准看護学校に入学し、2年間勉強して准看護師の資格を取り、夜勤もする病棟での勤務を始めたのです。家事と勉強の両立も大変だったと思いますが、40歳過ぎから新人ナースとして勤務することは色々と苦労があっただろうと想像できます。私はというと、長いブランクで看護師復帰にすっかり自信をなくしていた時期でした。ブランクがあっても大丈夫とのすすめもあって デイサービスに勤め始めましたが、利用者さんとのふれあいは楽しいものの、看護師が1人という環境で、何かあった時に判断を任される不安は常にある状態でした。
姉の頑張る様子が刺激になったこともあり、もう一度病院で働いて1からやり直したい、自信を持って働けるようになりたい、と思うようになっていた時にスズキ病院での復職研修の案内を目にしました。
思い切ってデイサービスを退職し、研修に申し込み、その勢いでスズキ病院での復職を決めました。40代半ばでの再スタートでした。久し振りの採血では緊張で手が震え患者さんに思いっきり不安が伝わってしまったり、要領が悪くて時間がかかり他のスタッフの方に助けてもらったり、医療用語がわからない、動けない、と落ち込むことも度々ありながら1年が経ちました。まだまだ自信もなくへこむことも多いのですが、それでも看護師の仕事がやっぱり好きなのかも・・・と感じています。
マラソンが趣味で、フルマラソンを走る姉は60歳になったらホノルルマラソンに出場する事を目標に仕事とジョギングを続けているそうです。私は、老後は豪華客船で世界旅行!を夢みて、できるだけ長く看護師として働けたらいいなと思っています。
2017.06.10 看護日記
1年経って改めて思うこと
今回、私の患者体験を通して感じたことをお話したいと思います。
私は、今から約7年前(40歳を過ぎた頃)子宮腺筋症という診断を受け、半年に1回婦人科に通い、経過をみていました。
(子宮腺筋症とは、子宮内膜の組織が子宮の筋層内に潜り込んで増殖する病気で、悪性疾患ではありませんが強い月経痛や月経過多がみられ、日常生活に支障をきたす場合が多いといわれています。)
私の場合、大きな支障はなく5年の月日が過ぎましたが、2年くらい前から、月経血の量が増えたこと、下腹部に硬いものが触れるようになり、しばらくすると足がむくみ始めました。
看護師である私は、腎臓が悪いのか?心臓か?色々不安になり始め、当院の医師へ相談したところ、血液検査は問題なく、さて、なんだろう?と考え子宮腺筋症がある事を医師へ伝えるとMRIを撮影することになりました。そうしたら、なんと!大きさが、本来、鶏卵大くらい子宮が、児頭大(赤ちゃんの頭大)もあった事が判明し、年齢と今後のことを考え迷わず手術することを決めました。
紹介先の医師の第一声が「ここまでよく我慢していましたね。」でした。子宮が大きすぎるため手術のリスクが高くなるとのことで、ホルモン治療を半年間行い小さくしてから手術を受けることになりました。そのかいがあり少しだけ小さくなり、昨年4月25日に無事手術を受けることが出来ました。手術後、思っていたよりも順調に回復し、手術前の不安はどこへいったのかと思うほどでした。
ただ、傷の痛みや、この先の経過がどうなるのかなど不安がなかったわけではありません。そんな時、入院期間中が4月ということもあり、新人の看護師が担当してくれました。何をやるにも慎重で、丁寧で私の不安を傾聴してくれたおかげで、安心して入院生活を送ることができ、また、一生懸命に看護している姿を見て、普段の自分の行動を振り返る良い機会となりました。そして、今年4月で1年が経ちましたが、入院中のことを思い返し、今後は自身の体験を踏まえて、患者さんの立場になりケアが出来る看護師として頑張っていきたいと思います。
2017.05.09 看護日記
酒粕スコ-ンの作り方
皆さん、酒粕を知っていますか。日本酒を製造する過程で発酵した固形物であるもろみを搾って取り出した液体が日本酒で、濾過した後に残ったものが酒粕です。酒粕に含まれる物質は健康面で優れているという研究が進められ、その効果の中に便秘解消効果があるそうです。酒粕に含まれる食物性乳酸菌に「便秘解消」の効果があり、腸内環境を整える働きがあるそうです。腸内環境が整うことによって老廃物の発生を抑え、体の中から美しく生まれ変わります。体の中から美しくなることによって、肌も常に新しいものに生まれ変わり、これが美肌効果へつながるそうです。
私が数年前に「美味しい紅茶の入れ方」のレッスンに参加した時に酒粕スコーンの作り方を教わりました。紅茶にスコーンはとっても合うそうです。好き嫌いはあるかと思いますが皆さんにもレシピを紹介したいと思いますので気になる方は作ってみて下さい。
<材料> 約16個分
・薄力粉 200g
・ベーキングパウダー 小さじ2
・塩 小さじ1/4
・マーガリン(食塩不使用) 40g・・・細かくカットする
・グラニュー糖 50g
・酒粕 大さじ4
・牛乳 約80ml
・グラニュー糖 適量
<作り方>
1.薄力粉とベーキングパウダー、塩を合わせてボウルにふるい入れる。
2.マーガリンを加え、指先ですり合わせてサラサラの状態にする。
3.グラニュー糖を加え、混ぜ合わせる。
4.酒粕と牛乳を合わせたものを加え、さっくりと混ぜ合わせる。
※生地の状態によって、牛乳の量を調節する。
5.打ち粉をした台に生地をのせ、手でまとめる。
6.4等分にし、それぞれ2㎝くらいの厚さの丸い形にして、4つに切り分ける。
7.表面にグラニュー糖をふり、オーブンペーパーを敷いた天板にのせる。
8.200℃に予熱したオーブンで10~15分焼く。
2017.04.19 看護日記
初めての転職
私が浩生会スズキ病院に入職して1年3ヶ月が経過しました。前の職場は付属の看護学校を卒業してから約7年勤務しており、慣れた環境から離れるのは少しさみしい気持ちもありましたが、引っ越しを機に転職をすることとなりました。
以前は呼吸器内科病棟で勤務しており、主に肺炎、肺癌等の呼吸器疾患の方へ、化学療法や在宅酸素療法の指導や禁煙指導などに取り組んでいました。浩生会スズキ病院は消化器疾患の患者さんが多く、手術も行なわれているため、今まで行なっていた看護とは異なる知識や技術が必要であり、入職当初は不安でいっぱいでした。
手術前後の患者さんと関わるのは看護学生の実習以来で、術後の観察ポイントは?患者さん・ご家族への配慮はどのようにしたら?など分からない事だらけでした。入職してから、なかなか手術をうける患者さんを受け持つ機会が無く、初めて術後患者さんを受け持たせてもらったのは夜勤初日の事でした。初めての夜勤で緊張をしていたうえに、まさか手術後の患者さんまで、と思いました。しかし、初めての夜勤は私のフォローをして下さっている先輩や、病棟主任との夜勤であり、私の緊張を程良くほぐしながらフォローをしてもらいました。私自身手術を受けた事が無いので、手術を受ける方の不安や痛みなど、分からない所は多くあります。以前家族が手術をすることになり、家族として、手術はうまくいくのだろうか、術後合併症など出現しないかなど心配でしたが、主治医の先生や看護師さんが声をかけて下さり、日々改善していく家族を見ていて不安が解消された事を覚えています。
私が目標としている看護は、患者さんやご家族に寄り添った看護をし、痛みや不安を少しでも軽減できるように働きかける事です。そのためにも、前職での経験もあわせて、浩生会スズキ病院で更なる経験を踏んで、なるべく患者さんのベッドサイドへ訪門し、状態にあわせた看護を行なっていきたいと思います。
2017.03.15 看護日記
ケニアでの体験
発展途上国で看護師として働くことを目指し、約2年間ケニアに滞在していた事があった。 免許取得はできたが3年の有効期限があり更新をしていないため免許の効力はもう無いのだけれど。この2年間で起こった事は私の中で核となるものを築いており、大事な私の一部分である。
看護師という立場で話すなら1番印象に残ったのは救急外来で2~3センチの傷を2つも縫った事。日本では看護師資格としては出来ない医療行為だが、ケニアでは傷が浅い外傷は看護師が縫合する。看護師免許を取るための研修中に巡って来た、もう2度と来ないチャンスだと思い患者さんには申し訳ないが、率先して実施させてもらった。傷は、1つは眉間の辺りで、もう一つは額と眼の間。受傷の理由は喧嘩だった。思っていたよりも数倍の手の力が必要とされ針を皮膚に刺す時は皮膚の硬さで手が震えた。局所麻酔はかなりの量を使ったと思う。でも今でも思うのだが、あの傷は治ったのかということ。局所麻酔の量も気がかりだけど、合わせた皮膚の面が気づかないうちにずれていて引きつれた傷痕になったのではないかと思うと気が気でない。
携帯電話を盗まれたり、必要な書類が揃わなかったり、ケニアから出国できなかったり、街中で変な人に付きまとわれたり・・・ケニアでは嫌なこと・怖いことも沢山あったけど、でも形態は違うけど日本でも嫌な事はある。
困ったことが起こると名前も知らない人が励ましてくれたり、助け船を出してくれる。それぞれのエピソードが大きくて一度には語れないけど、ケニアはそういう、「人って知らない人をこんなに助けられるのだ。人は人の心をこんなに救えるのだ」となんか心が「ほぅ」とする国。行くならツアーなんかでは無く、できるだけ長期の滞在で若いうちに行くことをお薦めしたい。
2017.02.05 看護日記