きっかけに

私が、日本糖尿病療養指導士(CDEJ)を習得して15年になります。今は、その資格を活かして外来で、指導にあったています。
近年、糖尿病およびその予備軍は増加し続けており、将来的に増大する傾向と考えられています。糖尿病は、自覚症状が少ないために糖尿病であることに気付かないでいる人や、気付いていても治療をしてないでいる人がいます。治療をしないでいると全身に様々な障害を引き起こすのが、この病気の特徴であり恐ろしい点です。
今までの生活を変化させることは、とても難しいです。“きっかけ”を取り入れようとしている方へ、多少なりのお手伝いはできるかと思っています。そしてそれを可能に近づけられるように、一緒に試行錯誤しながら取り組めたらと思います。
「糖尿病って何かしら?」「これからの治療について心配ごとがあるの…」など些細なことでも結構です。“きっかけ”を一人では探しきれていない方、若輩ものですが世間話でもしながら模索してみませんか?
毎週月曜日・外来で、声をかけていただけることをお待ちしております。

2018.08.26 看護日記

昔ながらの暑さ対策について

 連日の猛暑日ですが、皆さん体調はいかがでしょうか。現在はクーラーという素晴らしい発明により、真夏でも涼しく過ごせるようになりました。クーラーの無い昔は、打ち水や風鈴などで涼をとっていたそうです。昔は今よりも気温が低かったとのことで、それでも充分に涼しく過ごせたようですが、今は打ち水をしても文字通り『焼け石に水』かもしれません。
 皆さん、適切にクーラーを使用して、熱中症に注意しましょう!

2018.08.17 看護日記

我が家のペット

 5月のある日、下の娘が「カナヘビが欲しい。取りに行こう!」と私に。友達が飼っているということで、一目ぼれした様だ。カナヘビとは、トカゲ亜目トカゲ下目カナヘビ科に分類される生き物。簡単に言えばトカゲの仲間である。私も小学生の時に捕まえて飼育した記憶がうっすらとあったので、休日に公園へ。いざ捕まえにいこうとするが、なかなか捕獲できない。見当たらないのだ。だんだん意地になってくる。次の休みの日、公園をはしごするが見当たらない。今度は足を運び石神井公園まで出かけたが、トカゲはいるが、カナヘビは見当たらず。もう下の子のよりも私が欲しくなってきたのだ。
 そんなある日、何気なく家の庭をみるとそこに居るではないか。運動不足の身体が俊敏に動き、捕獲成功。見つけようとしたら見つけられず、考えてなければ出会えるとは、捕獲オーラがすさまじく出ていたのか…。何はともあれ捕獲は成功した。その日の夜、子どもに報告し、我が家のペットとなる。名前は未だない。
 捕獲後はいよいよ飼育だ。飼育するからにはしっかりとやらねばとググリます。インターネットは本当に便利だ。色々と調べる中でやはり餌は欠かせない。カナヘビは生餌しか食べないのだ。小さい頃は平気で触れた虫が、大人になると触れなくなる。虫が嫌なのだが、カナヘビの為に仕方がない。子どもに虫取りを指示するが、捕まえられない。仕方がないので子どもと一緒に虫取りに出発。しかし5月、虫がとれない。
 このままではカナヘビが…。しかし私は大人で小金を持っている。餌を購入だ。そんなわけで餌(コオロギ)は確保し一安心。しかしまだ問題があった。病気だ。カナヘビはカルシウムとビタミンDが不足するとくる病になってしまうのだ。人間と同じである。予防の為にはカルシウムの摂取と日光浴である。日光浴を行うことでビタミンDが生産されるのだ。ググッてみるとカルシウムのサプリメントなどがあるではないか。爬虫類にサプリメントと思いつつ、早速購入。餌にサプリメントをまぶし与えるのだ。白く変身したコオロギがカナヘビの口の中へ。後は適宜、日光浴。1ヶ月経ったが、元気に過ごしている。
 これで終わりかと思ったら、「ヤモリがほしい」と…。カナヘビと同じで捕まえられないだろうと思っていたら、義父が孫の為に捕獲。もう一匹、ヤモリが我が家のペットとなった。

2018.07.13 看護日記

看護師を歩んで

今年私は、「3学会合同呼吸療法認定士」の更新を行いました。この資格を取ったきっか
けは、当時ムカついた先輩を見返してやりたいと思ったからです。以前は3次救急を扱う集
中治療部で勤務していました。そこに入る前の経験はSCU(脳卒中集中治療部)に一年と
産科、総合内科などでしたので、そこでは何もできない新人でした。プリセプターでもない
S先輩からの「呼吸器ウイニング(自力で呼吸ができるようにする準備)の仕方が悪いから
予定通り抜管できないじゃないか。」「こんな指示をなんでもらったのよ。」「この低体温
コントロールは、やった事がない人のやり方だ。これを後輩に伝えられたら困る。」などの
ご指摘を思い出します。そのうち見返してやりたいと思い、S先輩の得意そうな、呼吸器の
勉強を始めたのがきっかけです。〜コイツを鼻で笑ってやりたい〜という思いで、言われた
ら食い下がり、先輩を捕まえては勉強して来たことを伝えていたら、いつしか呼吸について
先輩と議論できるようになり、呼吸ケアチームの講師として、たまには使ってもらえるよう
になっていました。当時の上司のおかげで、「体温について」執筆もさせてもらえました。
言っておきますが、一度も褒められたことはありません。本当に生意気で可愛くない後輩だ
ったのでしょう。今思えば私があの時、努力できたのは、このS先輩がいたからかもしれま
せん。これも先輩の愛情だったのかもしれませんね。その後、出産と子育てで10年のブラ
ンクを抱えてしまいましたが、スズキ病院の、看護について共感できる文章を見つけ、ご縁
をいただきました。看護師は日々色んな分野での学びが必要です。そして知識や経験は看護
の力になると思います。今は次の世代にも、色々な事を伝えて行きたいなと思っています。

2018.06.19 看護日記

2018年5月31日

 私には9年間の長いブランクがあります。
この病院に来る前は外来のパートをしていた時期もありますが、ほぼ専業主婦でした。
そんな私が今は常勤で病棟勤務をしています。随分思い切ったことをしたものだと自分でも思います・・・。
働き始めた当初は知識や技術もなく、周りのスタッフの方や患者さんに迷惑をかけてばかりでした。
「自分はこんなにもできないのか・・・」と本当に情けなく、そして体力や記憶力の衰えも感じ、様々な面で9年という時間の長さや重みがのしかかってきました。
しかし、そんな落ち込んで帰った私を待っているのは・・・。
ランドセルや脱いだ服が散乱している部屋、お腹がすいたとすでに大量のお菓子を食べて散らかしている息子たち・・・。
朝ごはんの洗い物がそのまま残った台所、たたむのが嫌になるほどの洗濯物・・・。
疲れたなどと言っている暇もなく、今度は「お母さん」としての仕事をこなさなくてはいけません。
でも「お母さんモード」の時は仕事のことは一旦忘れられます。どんなに落ち込んでいても子供たちを見ているとさて明日も頑張るか・・・と思えるのです。
そして逆に家でちょっとしたことがあっても、職場に来れば忘れてがむしゃらに働く「仕事モード」の自分がいます。
この切り替えをすることで生活にメリハリが出ました。
皆さんも色々な「モード」を持っていて、日々それらを上手く切り替えながら生活してるかと思います。
みんなそれぞれいろんな側面を持っているからこそ、看護にも多様性がでてきておもしろいんだなと思う今日この頃です。

2018.05.31 看護日記

今、思うこと

東北の大震災から7年が過ぎた。
もう7年、まだ7年、それぞれの立場で思いは違う。
自分の場合は・・・・・?
岩手の実家が津波にのみ込まれ跡形も無くなった。心の支えだった兄夫婦は今も不明・・・。
看護学校に入学するまで育ててくれた風光明媚だった故郷は変わってしまったが、心の中の故郷は今も変わっていない。時々、脳裏に焼き付いている美しかった景観の夢を見る。
幼くして母親と死別したのだが、この故郷で周囲の人々のやさしさに支えられ、助けられて育った。
今思えば何と幸せだったろうと自慢できる。
故郷で培ったこと全て、それが今の看護師としての仕事に大きく影響していると日々思う。
やさしさ、思いやり・・・・・等々。
いろんな意味で、私に携わってくれた全ての方々に感謝し日々を送れること、最高です。

2018.05.21 看護日記

2018年4月28日

 浩生会スズキ病院に入職して丁度一年半。私は、以前神戸で9年ばかり急性期の病院で働
いていました。その後、家庭の事情で18年海外に住み、結局約20年看護職を離れ、初めて
東京に住むことになり、最初に門を叩いたのがスズキ病院でした。部長との面談で「色々な
人生経験を経て年を重ね、今度はゆっくりと患者さんの話を聴く看護もいいんじゃない?」
と言われ、心からそうだなあと思い入職させていただきました。入職当時、すれ違う事務や
検査科などの他部門の方々が、新参者の私にあちらから挨拶してくださることにびっくりし
ました。また、急性期しか経験のない私は、改めて知らない事だらけの自分に落ち込んでし
まいましたが、スタッフの方々が本当に親切に教えてくださり、一年半、益々看護が興味深
くなり、有意義に過ごさせていただいています。スズキ病院のメンバーは、私にとって東京
でできた初めての仲間で、その仲間と離れたくないという思いで、入職して半年後、東京か
ら埼玉県の熊谷に引越しとなりましたが、通い続けて早くも一年になります。働き始めて印
象に残っている一つの出来事は、看護師をしていて初めて聞いた廃用症候群という患者さん
との出会いです。初めは膝が曲がってしっかり歩けない状態から、入院している間に少しず
つ前向きにリハビリを重ね、ついに回復され最後には歩いて退院。今年に入って「今では毎
日1000歩散歩しています」と年賀状を病院に送って下さりとても感動しました。これだか
ら看護師はやめられません!スズキ病院やるな!と思いました。今後も患者さんがより良い
人生を送られるお手伝いができるよう精進してがんばります。また、早く一人前になって教
えてくださったスタッフのメンバーに恩返しができるようになりたいです。

2018.04.28 看護日記

2018年3月7日

 スズキ病院に入職して3月で1年になります。
4年ぶりの病棟勤務で、不安で毎日ドキドキしながら出勤していたことを覚えています。
私は病棟看護師として、もう一度患者様と関わりたいという気持ちが強くなりスズキ病院に就職しました。患者様と関わる中で悩むことが多いですが、学ぶことも多く、思い切って再就職して良かったと思っています。毎日、カンファレンスの時間があるのですが、決められた時間の中で色々な意見を聞くことができ、気付かされることも多く1年経って改めて貴重な時間だなと感じることが多いです。
周りのスタッフの皆様に支えられながら、2年目も頑張っていきたいと思います。

2018.03.24 看護日記

忘れられない患者さんとの出会い

 私が新人看護師になった頃、末期がんの患者がいる病棟に勤務していました。
 日々の業務をこなす事で精一杯だった私に、いつも優しく見守り励ましてくれる患者さんと出会いました。その患者さんも病状が悪化し辛いであろう時ナースコールがありました。すぐには行けない私は「少しお待ちください」と伝えたままでやっと訪室するころには長い時間が経っていました。普段穏やかな患者さんが「いつまで待たせるんだ!何やってたんだ!もういい来るな!」と言われ、その後受け持つことなく亡くなってしまいました。心残りだった私に先輩は、本当はあの時来るなと言われても積極的に来て欲しかった、待たせた事に腹を立てたのではなく一度顔を見せてくれればよかったんだとおっしゃっていた事を後から聞き、涙が止まらなく、何故あの時患者さんの気持ちを考えずに自分のことしか考えていない自分に気付き、反省しました。現在も看護師として働いていますが、あの時の患者さんの残してくれた言葉を大切にして、今後も患者に寄り添える看護師として努力していきます。

2018.02.14 看護日記

患者さんからの手紙

 今年の夏、中学時代の同窓会がありました。20~30年もの間、会っていなかった同級生と中学時代の話で盛り上がってとても楽しい時間でした。その後しばらく心がタイムスリップしてしまったような不思議な感覚になり、懐かしい思い出を探すべく、実家で昔の写真や手紙のつまった引き出しを開いてみました。その中から、新人ナースの頃に患者さんから頂いた手紙を見つけました。
当時(25年前)、私は大学病院の放射線科病棟(癌治療病棟)で働いていました。その手紙は喉頭癌の治療を終えて退院された50代位の男性からで、私の受け持ち患者さんでした。「ピカピカの一年生の貴女へ」から始まり、入院中の思い出や心境、退院時に看護師達から贈られた寄せ書きや私が書いた手紙をお守りにしていることなどがユーモアたっぷりに書かれていました。そして、私への激励の言葉も…!
「ピカピカの1年生から本チャンの2年目を迎える、貴女にとって1年生で学んだもの総て生かせるか!無にするのか!貴女自身にとって大きな課題となります。さあ~~どースル 娘 順子ヨ‼ 1に勉強‼ 2に勉強 3・4がなくて5に勉強‼ 6に勉強‼ ~~一生勉強。貴女はピカピカの一年生ではなくベテラン中のベテラン。自信をもって行け‼2年目へ…。」
受け持ち看護師が新人ということで頼りなさも感じていたと思いますが、それを父親のような温かい目で見守って下さっていたことを感じて胸が熱くなりました。と同時に、この時の激励の言葉(勉強‼)が十分に生かされなかったことが悔やまれます。
放射線治療は化学療法の併用などもあって、長い入院期間を要します。そのため患者さんとの関わりが深く、今もなお心に残っています。特に新人の頃は、時間さえあればベッドサイドに張り付いて患者さんといろんな話(時には人生相談も)をしたものです。
あれから長い年月が経ちましたが、あの頃患者さんたちから頂いた宝物を思い出し、立ち止まって考える良い機会になりました。「今からでも遅くないよ」と言って下さっているような気がして、また励まされています。一生勉強‼ という気持ちで前に進んでいきたいと思います。

2017.12.03 看護日記