2018.09.08
病棟看護師 │ K.H
私は子育てをしている間、子ども達を色んな所へ連れて行きました。それは単純に私がやりたかった事でもありましたが、同時に、子ども達に世界を知ってほしいというもう一つの理由がありました。
フィリピンやカンボジアの孤児院にボランティアに行ったり、子ども達を現地の学校へ通わせ、オーストラリアやニュージーランドに長期滞在したりしました。また、日本では子どものイングリッシュキャンプのお手伝いや、PTA活動も必要に迫られてやってきました。
たくさんの方々と出会い交流する中で、彼らの世界を見る眼と視野の広さにいつも感心させられました。なかでも、カンボジアで孤児院を運営しながら、母子感染のHIVの子どもを実子として育てていた日本人とアメリカ人の夫婦や、カンボジアで人身売買から逃れるシェルターを作った友人のアメリカ人医師からは、とても大きな影響を受けました。
日本の保守的な価値観からはとても想像できない人生を歩んでいる人と出会う度に、私はいつも自分の視野と心の狭さを実感しました。そしてその度に、次へ一歩踏み出す勇気と希望を受け取っていました。だからこそ、長いブランク期間を経ても、またこの医療の現場へ戻ろうと思えたのかもしれません。
そしてこれからの経験は、看護師として仕事をする中で様々な価値観を理解するということに一役買っていると実感しています。
病棟看護師 │ K.H
私は子育てをしている間、子ども達を色んな所へ連れて行きました。それは単純に私がやりたかった事でもありましたが、同時に、子ども達に世界を知ってほしいというもう一つの理由がありました。
フィリピンやカンボジアの孤児院にボランティアに行ったり、子ども達を現地の学校へ通わせ、オーストラリアやニュージーランドに長期滞在したりしました。また、日本では子どものイングリッシュキャンプのお手伝いや、PTA活動も必要に迫られてやってきました。
たくさんの方々と出会い交流する中で、彼らの世界を見る眼と視野の広さにいつも感心させられました。なかでも、カンボジアで孤児院を運営しながら、母子感染のHIVの子どもを実子として育てていた日本人とアメリカ人の夫婦や、カンボジアで人身売買から逃れるシェルターを作った友人のアメリカ人医師からは、とても大きな影響を受けました。
日本の保守的な価値観からはとても想像できない人生を歩んでいる人と出会う度に、私はいつも自分の視野と心の狭さを実感しました。そしてその度に、次へ一歩踏み出す勇気と希望を受け取っていました。だからこそ、長いブランク期間を経ても、またこの医療の現場へ戻ろうと思えたのかもしれません。
そしてこれからの経験は、看護師として仕事をする中で様々な価値観を理解するということに一役買っていると実感しています。