2018.04.28
病棟 看護師 │ 萱場 雅子
浩生会スズキ病院に入職して丁度一年半。私は、以前神戸で9年ばかり急性期の病院で働
いていました。その後、家庭の事情で18年海外に住み、結局約20年看護職を離れ、初めて
東京に住むことになり、最初に門を叩いたのがスズキ病院でした。部長との面談で「色々な
人生経験を経て年を重ね、今度はゆっくりと患者さんの話を聴く看護もいいんじゃない?」
と言われ、心からそうだなあと思い入職させていただきました。入職当時、すれ違う事務や
検査科などの他部門の方々が、新参者の私にあちらから挨拶してくださることにびっくりし
ました。また、急性期しか経験のない私は、改めて知らない事だらけの自分に落ち込んでし
まいましたが、スタッフの方々が本当に親切に教えてくださり、一年半、益々看護が興味深
くなり、有意義に過ごさせていただいています。スズキ病院のメンバーは、私にとって東京
でできた初めての仲間で、その仲間と離れたくないという思いで、入職して半年後、東京か
ら埼玉県の熊谷に引越しとなりましたが、通い続けて早くも一年になります。働き始めて印
象に残っている一つの出来事は、看護師をしていて初めて聞いた廃用症候群という患者さん
との出会いです。初めは膝が曲がってしっかり歩けない状態から、入院している間に少しず
つ前向きにリハビリを重ね、ついに回復され最後には歩いて退院。今年に入って「今では毎
日1000歩散歩しています」と年賀状を病院に送って下さりとても感動しました。これだか
ら看護師はやめられません!スズキ病院やるな!と思いました。今後も患者さんがより良い
人生を送られるお手伝いができるよう精進してがんばります。また、早く一人前になって教
えてくださったスタッフのメンバーに恩返しができるようになりたいです。
病棟 看護師 │ 萱場 雅子
浩生会スズキ病院に入職して丁度一年半。私は、以前神戸で9年ばかり急性期の病院で働
いていました。その後、家庭の事情で18年海外に住み、結局約20年看護職を離れ、初めて
東京に住むことになり、最初に門を叩いたのがスズキ病院でした。部長との面談で「色々な
人生経験を経て年を重ね、今度はゆっくりと患者さんの話を聴く看護もいいんじゃない?」
と言われ、心からそうだなあと思い入職させていただきました。入職当時、すれ違う事務や
検査科などの他部門の方々が、新参者の私にあちらから挨拶してくださることにびっくりし
ました。また、急性期しか経験のない私は、改めて知らない事だらけの自分に落ち込んでし
まいましたが、スタッフの方々が本当に親切に教えてくださり、一年半、益々看護が興味深
くなり、有意義に過ごさせていただいています。スズキ病院のメンバーは、私にとって東京
でできた初めての仲間で、その仲間と離れたくないという思いで、入職して半年後、東京か
ら埼玉県の熊谷に引越しとなりましたが、通い続けて早くも一年になります。働き始めて印
象に残っている一つの出来事は、看護師をしていて初めて聞いた廃用症候群という患者さん
との出会いです。初めは膝が曲がってしっかり歩けない状態から、入院している間に少しず
つ前向きにリハビリを重ね、ついに回復され最後には歩いて退院。今年に入って「今では毎
日1000歩散歩しています」と年賀状を病院に送って下さりとても感動しました。これだか
ら看護師はやめられません!スズキ病院やるな!と思いました。今後も患者さんがより良い
人生を送られるお手伝いができるよう精進してがんばります。また、早く一人前になって教
えてくださったスタッフのメンバーに恩返しができるようになりたいです。