11月になると、練馬の大鳥神社で酉の市がおこなわれます。
酉の市とは、毎年11月の酉の日に行われる各地の大鳥神社の祭礼です。酉の日とは、毎日の日付に十二支を割り当てていく日付法で、「酉」にあたる日をいいます。酉の日は12日おきに巡ってくるので、日の巡りにより11月の酉の日が2回になる年と、3回になる年があります。最初の酉の日を「一の酉」、次を「二の酉」、最後を「三の酉」と呼びます。
酉の市では、商売繁盛の必須アイテムである縁起物の熊手が売られています。
自営業の方や、会社経営者は、前年購入した熊手を返納し、新しいものを購入します。熊手も大から小まで様々です。一番シンプルなものは、大鳥神社の御札と稲穂をつけた「開運熊手御守」700円。屋台で売られている熊手は数千円~数十万円するものもあり、宝船や七福神、鯛、米俵、小判など、おめでたいものがてんこ盛りです。高額熊手を購入した方は、商売繁盛を祝ってお店の方や、参拝客から三々七拍子で祝福されます。
その他、お酒が好きな方向きの屋台からお子様向けの屋台まで、お腹も心も充分満たせます。奉納提灯や屋台も含め、酉の市は練馬区の「地域景観資源」にも登録されています。
今年は11月6日、11月18日、11月30日と、三の酉まであります。
会社経営をされている方、お祭り好きな方、屋台好きな方はぜひ、足を運ばれてはいかがでしょうか。
今回、私が9月に行く児童養護施設のボランティアについてお話しさせていただきます。
ボランティアの参加は2度目になります。
最初に養護施設について少しお話したいと思います。岩手県にある児童養護施設です。その施設には、保護者のいない児童、虐待されている児童、環境上養護を必要とする児童を入所させ養護し、あわせて、退所した児童に対する相談と自立を支援することを目的としている施設です。原則、乳児を除く18歳まで児童相談所を通してお預かりして家庭に変わって養育されています。
私が初めてボランティアに参加したのは、2年前。きっかけは知り合いから声をかけられたことでした。ボランティアの経験のない私は、最初すごく不安がありました。
ボランティアの内容は、バーべキューの準備です。男性陣は火おこしで焼く準備を、女性は食材の準備です。一応私も主婦ですから、炊事ならお手伝いできるだろうと簡単に考えていました。しかし、いざやってみると食材は子供の口に入る大きさにすることから衛生面などを施設のスタッフがそばで指示を出したり、食材の量の多さやフライパンや鍋の大きさが半端なく大きくて、思うように炒めたりカットしたり出来なくて戸惑うことばかりでした。 やっとの思いで準備が完了し、バーベキューの開始です。焼いたり食べたりは子供たちも参加して一緒に楽しみます。いろいろな年齢の子供がいますが、どの年代の子供も私たち大人を怖がらず、受けいれてくれ、最後は「ありがとうございました。」と、とても素敵な笑顔で喜んでくれました。その笑顔がみたくて今年は早めに日程の調整がとれたので、9月3日参加してきます。前回よりも子供たちのためになれるよう努力したいと思います。そして、次回またご報告が出来るようにしたいと思います。
私の二男の通う学校は仏教の精神に基づく教育方針を掲げています。「感恩奉仕(かんのんほうし)」といい、「感恩」とは、今日の自分が他の多くの恩を受けて行かされていることに対する感謝する心を表すことであり、「奉仕」とは、他の恩恵によって今日ある自分を他の事に役立てて行くことです。
この言葉は幼少時に入院した際、家族はもちろん看護師さんに優しくしてもらい、私も人の役に立ちたい、優しい人になりたい、そして看護師になりたいと思っていた頃を思い出させてくれました。待望の看護師となり、結婚して子育てをしながら、今こうして私が看護師として仕事を続けて行けるのも、家族や職場の方、他多くの色々な恩恵によるものと実感しています。
スズキ病院に就職して1年7か月になります。病棟勤務は久しぶりで、教えてもらうことばかりで、自分が職場で役に立てているのか心配になることの多い毎日ですが、少しずつ患者様や職場の人のためになれればと思っています。
これからの人生も自分が誰かに生かされていることに感謝し、それに報いるために自らを人や社会の為に役てる生き方をしたいです。
初めてマイケルジャクソンを目にしたのは、中学生の頃にテレビで見たスリラーのPVでした。その夜は、あまりに衝撃的だったのか夢にスリラーのマイケルが現れ、追いかけられるという恐怖の夢をみました。それ以後、私はマイケルジャクソンを含め黒人さんが苦手になってしまいました。
それから約30年が経ち・・・
マイケルがプロポフォール中毒で死去されたことはニュースで知っていました。たまたまレンタルで借りていたDVD「This is it」(マイケルが亡くなる直前に行う予定であったコンサートのリハーサル映像を映画化したもの)をなんとなしに観たのがきっかけで、その瞬間から私はマイケルの虜になっていました。しかし、この時すでに亡くなってから3年も経過していました。興味を持ったのは死因のこともありました。私には偏った趣向があり、興味を持った事件や事故の真相を暴く書籍が大好きで、まるで自分がジャーナリストにでもなったような気分になり、とことん調べ挙げる癖があります。その結果、マイケルの人生や人格を知り惚れこんでしまったのです。世間ではスキャンダラスな記事で誤解を受けているマイケル。本当のマイケルは違うのに。マイケルは生涯で3億ドル(日本円で約281億円)を寄付しており、一個人のポップスター最多寄付額としてギネスに載っています。世界中の不幸な子供達の為「ヒール・ザ・ワールド基金」を設立し慈善事業を積極的に行っていました。コンサートで様々な国を訪れた際、その国々で小児科の病棟を訪問し子供の喜ぶおもちゃを贈る等、あまり善いことは知られていません。マイケルに興味を持った方は是非「マイケルジャクソンの教科書」や「マイケルジャクソン裁判~あなたは彼を裁けますか~」という書籍をお薦めします。きっとマイケルが好きになると思います。
数年前、とある入院患者さん(70歳代)のバッグにマイケルのキーホルダーがついていました。声をかけるとマイケルの大ファンで、マイケルを想い闘病生活に勇気と希望を貰ったと話されていました。マイケルは素晴らしい人だと、とても嬉しかったのを憶えています。実際、私もマイケルを好きになった頃は人生で1,2を争う辛い時期でした。40歳を過ぎて通信制の看護学校に入り、仕事と両立していた時期でストレスも多く・・・そんな時マイケルと出逢いその辛い時期を乗り越えました。マイケルだけではなく周囲の方々の励ましや応援ももちろんありましたが、秘かにマイケルに支えられていたのは確かです。
いつかマイケルに会いに行きたい。私はマイケルが生きていると信じています。その願いがついに叶う日がきました。今年の夏、ロサンゼルスに行きます!(人生初海外)
またロサンゼルス・マイケルの軌跡を追う旅について機会があればご報告したいと思います。
皆さん、酒粕を知っていますか。日本酒を製造する過程で発酵した固形物であるもろみを搾って取り出した液体が日本酒で、濾過した後に残ったものが酒粕です。酒粕に含まれる物質は健康面で優れているという研究が進められ、その効果の中に便秘解消効果があるそうです。酒粕に含まれる食物性乳酸菌に「便秘解消」の効果があり、腸内環境を整える働きがあるそうです。腸内環境が整うことによって老廃物の発生を抑え、体の中から美しく生まれ変わります。体の中から美しくなることによって、肌も常に新しいものに生まれ変わり、これが美肌効果へつながるそうです。
私が数年前に「美味しい紅茶の入れ方」のレッスンに参加した時に酒粕スコーンの作り方を教わりました。紅茶にスコーンはとっても合うそうです。好き嫌いはあるかと思いますが皆さんにもレシピを紹介したいと思いますので気になる方は作ってみて下さい。
<材料> 約16個分
・薄力粉 200g
・ベーキングパウダー 小さじ2
・塩 小さじ1/4
・マーガリン(食塩不使用) 40g・・・細かくカットする
・グラニュー糖 50g
・酒粕 大さじ4
・牛乳 約80ml
・グラニュー糖 適量
<作り方>
1.薄力粉とベーキングパウダー、塩を合わせてボウルにふるい入れる。
2.マーガリンを加え、指先ですり合わせてサラサラの状態にする。
3.グラニュー糖を加え、混ぜ合わせる。
4.酒粕と牛乳を合わせたものを加え、さっくりと混ぜ合わせる。
※生地の状態によって、牛乳の量を調節する。
5.打ち粉をした台に生地をのせ、手でまとめる。
6.4等分にし、それぞれ2㎝くらいの厚さの丸い形にして、4つに切り分ける。
7.表面にグラニュー糖をふり、オーブンペーパーを敷いた天板にのせる。
8.200℃に予熱したオーブンで10~15分焼く。
私が浩生会スズキ病院に入職して1年3ヶ月が経過しました。前の職場は付属の看護学校を卒業してから約7年勤務しており、慣れた環境から離れるのは少しさみしい気持ちもありましたが、引っ越しを機に転職をすることとなりました。
以前は呼吸器内科病棟で勤務しており、主に肺炎、肺癌等の呼吸器疾患の方へ、化学療法や在宅酸素療法の指導や禁煙指導などに取り組んでいました。浩生会スズキ病院は消化器疾患の患者さんが多く、手術も行なわれているため、今まで行なっていた看護とは異なる知識や技術が必要であり、入職当初は不安でいっぱいでした。
手術前後の患者さんと関わるのは看護学生の実習以来で、術後の観察ポイントは?患者さん・ご家族への配慮はどのようにしたら?など分からない事だらけでした。入職してから、なかなか手術をうける患者さんを受け持つ機会が無く、初めて術後患者さんを受け持たせてもらったのは夜勤初日の事でした。初めての夜勤で緊張をしていたうえに、まさか手術後の患者さんまで、と思いました。しかし、初めての夜勤は私のフォローをして下さっている先輩や、病棟主任との夜勤であり、私の緊張を程良くほぐしながらフォローをしてもらいました。私自身手術を受けた事が無いので、手術を受ける方の不安や痛みなど、分からない所は多くあります。以前家族が手術をすることになり、家族として、手術はうまくいくのだろうか、術後合併症など出現しないかなど心配でしたが、主治医の先生や看護師さんが声をかけて下さり、日々改善していく家族を見ていて不安が解消された事を覚えています。
私が目標としている看護は、患者さんやご家族に寄り添った看護をし、痛みや不安を少しでも軽減できるように働きかける事です。そのためにも、前職での経験もあわせて、浩生会スズキ病院で更なる経験を踏んで、なるべく患者さんのベッドサイドへ訪門し、状態にあわせた看護を行なっていきたいと思います。
発展途上国で看護師として働くことを目指し、約2年間ケニアに滞在していた事があった。 免許取得はできたが3年の有効期限があり更新をしていないため免許の効力はもう無いのだけれど。この2年間で起こった事は私の中で核となるものを築いており、大事な私の一部分である。
看護師という立場で話すなら1番印象に残ったのは救急外来で2~3センチの傷を2つも縫った事。日本では看護師資格としては出来ない医療行為だが、ケニアでは傷が浅い外傷は看護師が縫合する。看護師免許を取るための研修中に巡って来た、もう2度と来ないチャンスだと思い患者さんには申し訳ないが、率先して実施させてもらった。傷は、1つは眉間の辺りで、もう一つは額と眼の間。受傷の理由は喧嘩だった。思っていたよりも数倍の手の力が必要とされ針を皮膚に刺す時は皮膚の硬さで手が震えた。局所麻酔はかなりの量を使ったと思う。でも今でも思うのだが、あの傷は治ったのかということ。局所麻酔の量も気がかりだけど、合わせた皮膚の面が気づかないうちにずれていて引きつれた傷痕になったのではないかと思うと気が気でない。
携帯電話を盗まれたり、必要な書類が揃わなかったり、ケニアから出国できなかったり、街中で変な人に付きまとわれたり・・・ケニアでは嫌なこと・怖いことも沢山あったけど、でも形態は違うけど日本でも嫌な事はある。
困ったことが起こると名前も知らない人が励ましてくれたり、助け船を出してくれる。それぞれのエピソードが大きくて一度には語れないけど、ケニアはそういう、「人って知らない人をこんなに助けられるのだ。人は人の心をこんなに救えるのだ」となんか心が「ほぅ」とする国。行くならツアーなんかでは無く、できるだけ長期の滞在で若いうちに行くことをお薦めしたい。
私は、福岡の看護学校を卒業後、付属の病院へ入職し、3年間看護職を経験した後に結婚退職し上京しました。そして近くの病院に勤務しましたが、約一年で長男の出産を機に退職しました。その時は看護職を離れることに迷いはありませんでした。両親は私が幼少のころからずっと忙しくしていたので、“お母さんがいつも家に居てくれる”という環境に憧れがあったからです。ですので、3人の子供たちが大きくなり下の子が幼稚園へ上がるまで主婦として子供たちのそばに居られたことは嬉しく思います。
しかし、もうこの時には看護職から離れて9年近くも経っていました。焦りがない訳がありません。看護師以外の職種で働くことも考えました。でも、学生のころ両親がずっと応援してくれていたこと、子供たちから「ママはお仕事したことあるの?」と聞かれた時、自信を持って「看護師」と言えなかったことがとても残念に感じてしまいました。
このことが、もう一度働くのであれば、やはりまた1からのつもりで勉強して、看護師として働きたいと思いました。
下の子が幼稚園に入ったタイミングで働こうと決めましたが、小学校と幼稚園の行事やお手伝い、夏休み、などなど・・・気になることは沢山です。そしてブランクも長い・・・。なかなか踏み出せませんでした。そんな時に目にしたスズキ病院での復職者支援研修。これはぜひ参加したいと思い、すぐ申し込みをしました。研修では現役の看護師の方々に講義・実習を受けさせて頂けました。質問などもその場ですぐ聞くことができ、自信のない看護技術も何度も練習させて頂けました。その研修を通して、スタッフの方々や病院の雰囲気、そして子育てしながらも働きやすい職場作りに積極的に取り組まれている環境に惹かれ、こちらでの入職を希望しました。
今、復職して1年が経ちました。復職したことで、1日のリズムにもメリハリが出来、今はまだ日数・時間ともに減らして頂けているので、子供たちにも寂しい思いをさせることなく働くことが出来ています。とても有難く思っています。今後は、子供たちの成長に合わせて、少しずつ増やして行きたいと思っています。
昨年の春、新卒でこの病院に入職し、先輩方に支えられながら、今年で看護師、そして社会人として2年目を迎えることが出来ました。
まだまだ分からないことだらけで勉強が足りないことも沢山あり、ゆっくりではありますが
周りのスタッフに教えてもらい、日々反省しながら成長しているのではと思います。
そんな私が今年、中学生の職場体験の担当になり、教えてもらう立場から教える立場を経験することになりました。内容を聞いた時は中学生とはいえ、自分に教えることなんて出来るのかと不安もありましたが、他人に教えることで、自分が分かっていることと曖昧なことの整理ができ、課題が明確になるのだとわかりました。
例えばお食事を配るとき、入院している方の食事の形態を見ると皆違います。食事の説明をする際にも、なぜこの人は普通の食事と違うのか、分かっていないと説明できません。
中学生に説明することで自分の知識を再確認することが出来ました。また、よく分かってもらえるように分かりやすい言葉で伝えようと意識するため、説明する方法も学ぶことが出来ます。中学生へ説明しているうちに、これは患者さんや患者さんの家族へ説明する際も同じことなのではと思いました。分からない人に分かるよう説明することは難しく、言葉を選んで説明するのはもちろんですが、自分は説明したから分かっただろうと思うのではなく、
本当に理解できたか途中途中で分からないことはないか、確認することも大切なのだと思いました。
この職場体験を通して、他人に教える難しさや自分の知識の量など沢山のことを学ぶことが出来ました。また中学生からの質問に答えることで、看護師としてのやりがいも再認識することが出来ました。この経験を活かし、より知識を確実なものにして患者さんが少しでも安心できる看護師になれるよう、これからも頑張っていきたいと思います。
スズキ病院には、復職研修があり、ブランクがあったため受講しました。その際、以前との違いをわかりやすく説明していただきました。また、病棟実習もありました。参加した際、実施したい事を中心に、いろいろと各部署に働きかけていただいたり、受講しやすいよう配慮いただいた事が、印象に残っています。
講習を受けた事で、 「復帰できるかな 」と、逆に不安が大きくなりましたが、スタッフの方々の患者さんへの対応の様子や、チームワークを見て、「病棟でもう一度働きたい」と思い、それから現在にいたります。
復帰初めは、緊張と不安が大きく、業務に慣れるのに時間がかかりました。ですが、スタッフの皆さんの助けを借り、日々業務に当たっています。
今は、パートタイムで働いています。時間がくると皆さんが、「もう上がれる?」といつも気にかけて下さり、とても働きやすい環境です。いずれは、フルタイムで働けるよう、まだまだ勉強不足ですが、頑張っていきたいです。